こんにちはこっこです。
前回、縄文時代についての自分の想像を書きました。
今回は近隣の神社にまつわるお話です。
穂高神社は海の神
それは、長野県安曇野市(あずみのし)穂高(ほたか)にある穂高神社です。
穂高神社には3神が祀ってあります。「穂高見命」「綿津見命」「ににぎの命」
「穂高見命」は「綿津見命」の子供のようでどちらも海の神様のようです。長野県と言う山また山の奥地になぜそのような神様がいらっしゃるのか?不思議です。
この地方では北九州に住んでいて海で生計を立てている一大勢力の民 「安曇氏」が有史前にヤマト朝廷との権力争いに負けて、日本海を北に向かい長野県にその居住地を移したと言われています。
実際に福岡で郷土食とされている「おきゅうと」(海藻の加工食品)を食べる文化がこの地でもあったとか。
その安曇氏が建てた神社が穂高神社だと言われています。
青が安曇氏の本拠地と思われるところ。赤が穂高神社のあるところ。
拝殿の脇には「阿曇比羅夫(あずみひらふ)」像があります。阿曇比羅夫は唐から攻められた高句麗を助ける軍の大将となったけれど白村江(はくすきのえ)の戦いにて西暦663年8月27日に戦死したそうです。そのことを悼んで命日に当たる新暦9月27日が穂高神社のお祭りの日になっています。山車は船でできていて二艘の大型船をぶつけ合う勇壮なお祭りです。
こんな内陸部から水軍の大将になるのは難しいのでは?
ずっと不思議に思っていました。こんな山奥からどうやって水軍の大将として赴任したのでしょうか。
銅像の説明文です
写真の右手にある(参考)に「阿曇山背(あずみやませ)連と記す場合もある。山背は大阪府・・・」と書いてあるので阿曇比羅夫は大阪の人で長野県には住んでいなかったのではないでしょうか。
つまり安曇氏の全員が長野県にきたわけでなく、大阪に移り住んだ人などたくさんあったのではないでしょうか。
その証拠に例えば渥美(あつみ)半島も「安曇」(あずみ)の名前からきていると言われています。
この地の安曇氏の「阿曇比羅夫」への崇拝が高く、あがめられた結果、銅像が建てられたり、お祭りが行われているかもしれません。
歴史の授業で習った「白村江の戦い」の痕跡をこんなところで見つけられるのは驚きです。7世紀に朝鮮に軍を送ったなんて実は信じられなかった私です。おとぎ話ぐらいの感覚で聞いてました。でも実際の話なんですね。
ただの歴史好きが想像たくましく書いているので、事実とは異なることもあるかもしれません。お許しください。でも歴史ミステリーを楽しみたいですね。
最後までお読み下さりありがとうございました。